6月11日(木)に、JCIIフォトサロン(日本カメラ博物館)へ写真展「情報官・林謙一が見た 昭和16年 富士山観測所」(Internet Archive)をみにいきました。
日本カメラ博物館は、日本のカメラが展示されています。最近のデジタルカメラも続々収集しています。また日本のカメラ産業に影響を与えた外国のカメラ(簡単にいえばライカ、ツァイス)も収集されています。
日本カメラ博物館の成立の過程をみると、戦後日本の歩みを痛切に感じます: 「日本カメラ博物館について」より引用
1954(昭和29)年に発足したJCII(※)は、輸出検査法などに基づく日本製カメラ・光学機器の検査・研究機関でした。戦後の輸出振興策の中で、日本製輸出カメラを一定水準以上の品質に保つために製品検査を行い、日本工業規格(JIS)の原案作成や専門委員として、また、写真に関する国際標準化機構(ISO)専門委員会国内連絡協議会幹事としての仕事を重ねていました。
[以下略]
- ※ 財団法人日本写真機検査協会(Japan Camera Inspection Institute)、
- 1973(昭和48)年より、財団法人日本写真機光学機器検査協会(Japan Camera and Optical Instruments Inspection and Testing Institute)、
- 1999(平成11)年より、財団法人日本カメラ財団(Japan Camera Industry Institute)、
- 2012(平成24)年4月1日より、一般財団法人日本カメラ財団(Japan Camera Industry Institute)
カメラを輸出するためにJISで規定して、検査していたなんていう、国を挙げてカメラの輸出に力を入れていたなどということはその後の「非関税障壁撤廃」を経た現在では想像もできないことです。
写真展は、当時珍しかった写真マニアだった林謙一が戦中に内閣情報部の情報官として撮影した富士山測候所の様子を遺族から提供されたネガから新たにプリントしたものです。
ライカM3を使って、白黒で撮影されたもので、一部は当時「写真週報」に掲載されました。
ところでこの林謙一氏、NHKの朝の連続テレビ小説の大ヒット作として未だに語り継がれる「おはなはん」の原作者。
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